鏡の中の空、あるいはサヨナラの練習
大法螺吹きのシャボン玉
尊厳
ノラ猫ポートレート
フウセンカズラ
野良猫撮影の合間の雑草写真をもう1枚。
こちらはタムロン90mmではなく SIGMA DC 17-70mm で撮影。初めてデジタル一眼レフを買ったときに、キットレンズの代わりに購入したもの。しばらくこれ1本で撮ってました。レンズの先端から数センチまで寄れるのでなかなか便利です。

(PENTAX K20D, SIGMA DC 17-70mm)
フウセンカズラ
こちらはタムロン90mmではなく SIGMA DC 17-70mm で撮影。初めてデジタル一眼レフを買ったときに、キットレンズの代わりに購入したもの。しばらくこれ1本で撮ってました。レンズの先端から数センチまで寄れるのでなかなか便利です。

(PENTAX K20D, SIGMA DC 17-70mm)
フウセンカズラ

テーマ : マクロレンズで撮った写真
ジャンル : 写真
野良猫写真のついでに
いつの間にか野良猫撮影の合間に、そこらへんに生えている雑草を撮るようになりました。
猫を撮るときのレンズは、最近は PENTAX DA★ 50-135mm がほぼ付けっ放しの状態なんですが、雑草用にはTAMRON の90mmマクロに交換します。もともと機材にうるさい方じゃないんですが、この2本はホントいいレンズだと思います。広角ではほとんど撮らないので、この2本でだいたい間に合うんじゃないかなぁ。
下の2枚、かなり色を誇張してるので実物とは印象が違うかも。

(PENTAX K20D, TAMRON SP Di AF 90mm MACRO)
マツヨイグサ

(PENTAX K20D, TAMRON SP Di AF 90mm MACRO)
アカバナ
猫を撮るときのレンズは、最近は PENTAX DA★ 50-135mm がほぼ付けっ放しの状態なんですが、雑草用にはTAMRON の90mmマクロに交換します。もともと機材にうるさい方じゃないんですが、この2本はホントいいレンズだと思います。広角ではほとんど撮らないので、この2本でだいたい間に合うんじゃないかなぁ。
下の2枚、かなり色を誇張してるので実物とは印象が違うかも。

(PENTAX K20D, TAMRON SP Di AF 90mm MACRO)
マツヨイグサ

(PENTAX K20D, TAMRON SP Di AF 90mm MACRO)
アカバナ

テーマ : マクロレンズで撮った写真
ジャンル : 写真
猫たちのいる歩道
いつも撮ってる猫たちです。
単体での写真は何枚もあるんですが、集合写真は初めてです。
左端から2匹が子猫の兄弟。一番奥に見えるのが母猫。右端の猫はどういう関係か不明なのですが彼らとよく行動を共にしています。この写真では小さすぎて分かりませんが、左端の子猫とどことなく風貌が似ている気がします。

猫たちのいる歩道
(PENTAX K20D, PENTAX DA★ 50-135mm)
ついでに子猫たちのツーショットもUPしておきましょう。
子猫は動き回るので、2匹がきちんと写っている写真を撮るのはなかなか難しいのです(私のウデでは)^^

子猫の兄弟
(PENTAX K20D, PENTAX DA★ 50-135mm)

単体での写真は何枚もあるんですが、集合写真は初めてです。
左端から2匹が子猫の兄弟。一番奥に見えるのが母猫。右端の猫はどういう関係か不明なのですが彼らとよく行動を共にしています。この写真では小さすぎて分かりませんが、左端の子猫とどことなく風貌が似ている気がします。

猫たちのいる歩道
(PENTAX K20D, PENTAX DA★ 50-135mm)
ついでに子猫たちのツーショットもUPしておきましょう。
子猫は動き回るので、2匹がきちんと写っている写真を撮るのはなかなか難しいのです(私のウデでは)^^

子猫の兄弟
(PENTAX K20D, PENTAX DA★ 50-135mm)

野良猫?飼猫?
野良猫の写真を撮っていると、時々野良猫なのか飼猫なのか分からない猫に出会うことがあります。野良かもしれないしどっかで飼われているのかもしれない。現時点ではどっちか不明。というんじゃなくて、その生活様式が曖昧なのです。例えばこの猫。あるお宅の縁側やガレージを中心に活動しているようです。それに餌まで貰っています。でも「居ついちゃった」だけで飼っているとは認識されていません。このお宅には飼猫もいて、そちらは首輪をして室内への出入りを許されているようです。そう言えば「地域猫」ってのもありますね。そんな曖昧な猫のあり方は東京(都会)だけに見られるものなのか?外国ではどうなのか興味を惹かれるところです。

寝そべる子猫
(PENTAX K20D, PENTAX DA★ 50-135mm)

見上げる横顔
(PENTAX K20D, PENTAX DA★ 50-135mm)
2枚目の写真、瞳に青空が映っていました^^


寝そべる子猫
(PENTAX K20D, PENTAX DA★ 50-135mm)

見上げる横顔
(PENTAX K20D, PENTAX DA★ 50-135mm)
2枚目の写真、瞳に青空が映っていました^^

タイヤと子猫
原宿周辺スナップ+アロイーズ展
昨日は原宿に出かけたので、界隈をスナップして来ました。写真に興味のない連れが2人おり、じっくり撮ることはできませんでしたが、他に目的があったので写真は「おまけ」。特にこれは!というものもないのですが、一応UPしておきましょう。まずは駅近くの歩道橋からのお約束的な(?)一枚。

お箸屋さんの店先です。

ワタリウム美術館の窓から。

お花屋さんの店先で見つけた小さな蓮の花。

裏通りの住宅。

こちらも裏通りのお家です。庭に彫刻が。

(全て CANON PowerShot G7)
さて今回はワタリウム美術館で開催中の「アロイーズ展」に行って来ました。アロイーズ・コルバス(1886-1964)はスイス生まれ。31歳の時に統合失調症と診断され、40年以上にも及ぶ入院生活で描き溜めたきわめて個性的な絵がアウトサイダー・アート(アール・ブリュット)の代表格とも目されている女性です。
http://www.watarium.co.jp/exhibition/index.html

展示でまず印象的だったのは極彩色の色使い。特に多用するオレンジ色やピンクが彼女の官能の世界にマッチしています。官能ということばを使いましたが、そこには肉体的な重さや体温は感じられません。リアルではなくあくまでファンタジーや夢としての官能。登場人物の目がサングラス状に青く塗りつぶされているのが非常に特徴的なんですが、解説には「青く塗りつぶされた目は盲目を意味し、そのことによって彼らが存在しないことを象徴する」という誰かの分析が引用されていました。この「存在しない」というのはファンタジーの意味だとすると納得です。
ボール紙の切れ端や雑誌のページに色鉛筆やクレヨンで空想をばら撒いたような作品に近づいてよく見ると2枚の紙を糸で縫って繋げてあったりしますが、縫い物の係りを自ら進んで担当していたという彼女がほんの少し身近に感じられた気がして、改めて作品を眺めてみるとファンタジックな官能性とともに、そこにはある種の微笑ましさがあるのでした。いかなる美術教育を受けることも、また誰に影響されることもなく、ただ好きで絵を描いてたってのもいいですね。絵が売れ出した晩年に助手のような役割として雇われた理学療法士があれこれ絵に注文をつけたことで創作意欲をなくし衰弱死したというのはクリエイティブであるということに関してとても示唆的なエピソードだと思います。
オペラに通じ若い頃ドイツのヴィルヘルム二世のサンスーシ宮殿で働いたこともあるアロイーズの絵画にちりばめられた意味や象徴を解読することは私にはできませんが、評価や地位や見返りとは無縁の場所でひとり豊穣な宇宙を想像/創造し続けた彼女の姿はある意味表現する人の理想像かもしれないなと思った次第です。「アロイーズ展」は16日までやっています。パスポート制のチケットで何度でも入場できるので、時間があればもう一度見に行きたいと思います。

お箸屋さんの店先です。

ワタリウム美術館の窓から。

お花屋さんの店先で見つけた小さな蓮の花。

裏通りの住宅。

こちらも裏通りのお家です。庭に彫刻が。

(全て CANON PowerShot G7)
さて今回はワタリウム美術館で開催中の「アロイーズ展」に行って来ました。アロイーズ・コルバス(1886-1964)はスイス生まれ。31歳の時に統合失調症と診断され、40年以上にも及ぶ入院生活で描き溜めたきわめて個性的な絵がアウトサイダー・アート(アール・ブリュット)の代表格とも目されている女性です。
http://www.watarium.co.jp/exhibition/index.html

展示でまず印象的だったのは極彩色の色使い。特に多用するオレンジ色やピンクが彼女の官能の世界にマッチしています。官能ということばを使いましたが、そこには肉体的な重さや体温は感じられません。リアルではなくあくまでファンタジーや夢としての官能。登場人物の目がサングラス状に青く塗りつぶされているのが非常に特徴的なんですが、解説には「青く塗りつぶされた目は盲目を意味し、そのことによって彼らが存在しないことを象徴する」という誰かの分析が引用されていました。この「存在しない」というのはファンタジーの意味だとすると納得です。
ボール紙の切れ端や雑誌のページに色鉛筆やクレヨンで空想をばら撒いたような作品に近づいてよく見ると2枚の紙を糸で縫って繋げてあったりしますが、縫い物の係りを自ら進んで担当していたという彼女がほんの少し身近に感じられた気がして、改めて作品を眺めてみるとファンタジックな官能性とともに、そこにはある種の微笑ましさがあるのでした。いかなる美術教育を受けることも、また誰に影響されることもなく、ただ好きで絵を描いてたってのもいいですね。絵が売れ出した晩年に助手のような役割として雇われた理学療法士があれこれ絵に注文をつけたことで創作意欲をなくし衰弱死したというのはクリエイティブであるということに関してとても示唆的なエピソードだと思います。
オペラに通じ若い頃ドイツのヴィルヘルム二世のサンスーシ宮殿で働いたこともあるアロイーズの絵画にちりばめられた意味や象徴を解読することは私にはできませんが、評価や地位や見返りとは無縁の場所でひとり豊穣な宇宙を想像/創造し続けた彼女の姿はある意味表現する人の理想像かもしれないなと思った次第です。「アロイーズ展」は16日までやっています。パスポート制のチケットで何度でも入場できるので、時間があればもう一度見に行きたいと思います。
