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人生、ここにあり!

(ちょっと短くしました。8/4)
たまには映画のレビューでも書いてみよう。

『人生、ここにあり!』

原題:Si può fare
監督:ジュリオ・マンフレドニア
2008年 イタリア映画
公式サイト: http://jinsei-koko.com/


1980年代イタリアでの実話をベースにしたコメディ・タッチの人間賛歌。
労働組合の運動家ネッロは政治路線の違いから組合を追い出され「協同組合180号」の指導員に任命される。で、新しい職場に行ってみると、協同組合とは名ばかりで、精神病院から出た患者たちが監督医のもと、切手貼りなどの単純作業(とたっぷりの薬)を与えられ無気力な日々を送っていた。

ここでちょっと時代背景の説明をすると、イタリアでは1978年から精神病院の全廃を謳った法律(180号法、通称「バザリア法」)が施行され、患者たちは地域社会でその一員として生活していくことになったらしい。とは言っても、病院から社会に「解放」されて後も、現実にはこの映画のように入院していたときとほとんど同じ生活を余儀なくされた人たちも多かったんだろう。

さて、ネッロは良く言えば個性豊かな、悪く言えばてんでバラバラな組合員たちをどうにかまとめ上げ「床貼り」の仕事を始めることとなった。が、組合員を無能で仕事なんか無理だと決めつける頭の固い監督医や精神障碍者に対する世間一般の偏見など前途は多難。なかなか注文も取れない。やっと契約を取り付けた仕事でも、ネッロ不在時に床板が足りなくなるというアクシデントが発生。組合員たちはパニック状態に。

でも結果的にはこのアクシデントが好転して、彼らの仕事が評判を呼ぶようになり事業はトントン拍子に発展する。自分の手で稼ぐことができることを知った彼らには人間らしい表情が戻ってくる。とここまでは良いんだけど、それまで社会との接点がなかった彼らはその純粋さゆえに傷つくこともある。健常者の女の子に恋をした青年組合員の自殺という事件が彼らの心に暗い影を落とす。

彼らの社会進出を全力でサポートしてきたいつも攻めの姿勢のネッロもすっかり凹んでしまい「おれのやり方は間違っていた」と組合を去ってしまう。反対に組合員の投票で解雇された監督医が復帰。また以前のような非人間的な毎日が戻ってくるのか?

それとも…

あらすじはこんな感じなんですが、良い映画でした。
イタリア語の原題は「やればできるさ」という意味だそうです。
「まぁ色々あるけど、深刻な顔をするまえに、一歩歩き出そうよ。きっとうまくいくよ」ていう明るいメッセージが伝わってきます。

日本語で「やればできる」っていうフレーズを考えた場合、あまり魅力的な言葉には響きません。もっと正直に言えば個人的には反発を感じるタイプの言葉です。なぜって、なにか自然なものに反した行動を無理強いするときに使われるような気がするんですよね。敵の戦闘機に竹槍で向かって行くときの精神論のような(ってたとえが古いですね)。

でもこの映画で描かれたような状況を背景、あるいはコンテクストとして「やればできる」って言葉の響きを味わってみると不思議なことに反発は少しも感じません。

なんでだろうって考えてみると、これを口にする時の心のベクトルが日本的なコンテキストの場合とこの映画では正反対なのではないかと思いました。前者の場合ベクトルは苦の方向(苦行・努力)、後者は楽の方向(○○、例えば自律的生活、ができるようになったときの喜び)のような気がします。

さて、このように肯定的に評価したうえで言うのですが、ストーリーの展開が少し表面的で突込みが足りないように感じる部分もありました。都合のいい偶然の連続という印象が若干するのです。

例えば床材が足りなくなるというアクシデントが起こったとき、普段から偏執狂的なところのある二人の統合失調症患者が廃材(切れ端)を丁寧に組み合わせてモザイクを作ってしまうんだけど、この契約とは違う仕事をクライアントのブティック店長が「アーティスティックだ」と気に入ってしまうというエピソード。

彼らが一般社会で直接経験する(多分)初めてのトラブル、かつ彼らの転機となる出来事、そういう重い役割を担うエピソードにしては都合が良すぎるように感じました。

でも同時にある程度は仕方のないこととも思うんですね。これは今でも北イタリアに存在する協同組合をモデルにしていて、出てくるエピソードもほとんど現実の出来事らしいのだけど、入れたくなるエピソードが沢山あったんじゃないかな。で、それをできるだけ2時間弱の上映時間に詰め込んで、しかもシリアスにならずに前向きのトーンで、っていうとどうしても「表面的」な印象にならざるを得ない。そういうことかもしれませんね。

積極的に良かった点も書いておくと、患者たちの役作りがしっかりしていました。
一人ひとりの病状を含めての個性が明瞭かつ自然で、違和感や誇張感をほとんど感じません。
それもそのはず、オーデションでは全員に一年かけて医療センターなどで研修を受けてもらったそうです。

一般社会から隔離されてきた人々の解放、そこには反対も多いはずです。
またそれが実現してからも、色々と問題は起こるでしょう。
そのたびに「それ見たことか」という反応が出るのは容易に想像できます。

でもそれを世界で初めて実現してしまったイタリアは大した国だと思いました。
人間に対する大きな信頼感のようなものがあるのかもしれません。
楽天的な国民性?

振り返って、日本では…って考えると残念ながらあまりハッピーな気持ちになれないのは私だけではないでしょう。

見てるときは思いつかなかったんだけど、組合員たちが規格外の廃材で床に描くモザイクって、期せずしてイタリアがバザリア法で目指す社会のあり方のメタファー(喩え)になってるとも言えますね。つまり、みんなそれぞれどこか規格から外れた切れ端なんだけど、それぞれの形(個性)をきちんと見て、巧~く組み合わせるときれいな絵柄(社会)が完成する。

音楽がなぜかバルカンのジプシー音楽みたいなのが使われてました。

☆         ☆          ☆


本文とは一切無関係ですが、最近のコラージュを一点UPしておきます。

coll-butterflies-1.jpg

無題


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テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

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J.-P. Kuak

Author:J.-P. Kuak
空想写真家、ノラ猫写真家、コラージュ作家。懐かしいものや鉱物も好き。

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